巴御前(ともえごぜん)

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巴御前(ともえごぜん)は、平安時代末期の信濃国の女性。女武者として伝えられている。

彼女の生まれた年ははっきりせず、書物によって大きく異なるのですが、最も早いもので仁平三1153年、最も若いもので長寛元1163年と、10年ばかりの開きがあります。

巴は信州(現:長野県)木曾の豪族(庄司。荘園の役人)・中原権頭兼遠(なかはらの ごんのかみ かねとお)と千鶴御前(せんつる/ちづるごぜん)の娘として生まれました。

彼女の兄弟には、主君・義仲の乳兄弟として共に最期まで戦い抜いた今井兼平(いまいの かねひら)はじめ、義仲を全力で支えた豪傑たちが勢揃い。まさに総出で「木曾の御曹司」義仲に忠義を尽くした一族と言えます。

以下、Wikipediaより

軍記物語『平家物語』の『覚一本』で「木曾最期」の章段だけに登場し、木曾四天王とともに源義仲の平氏討伐に従軍し、源平合戦(治承・寿永の乱)で戦う大力と強弓の女武者として描かれている。

「木曾殿は信濃より、巴・山吹とて、二人の便女を具せられたり。山吹はいたはりあって、都にとどまりぬ。中にも巴は色白く髪長く、容顔まことに優れたり。強弓精兵、一人当千の兵者(つわもの)なり」と記され、宇治川の戦いで敗れ落ち延びる義仲に従い、最後の7騎、5騎になっても討たれなかったという。

義仲は「お前は女であるからどこへでも逃れて行け。自分は討ち死にする覚悟だから、最後に女を連れていたなどと言われるのはよろしくない」と巴を落ち延びさせようとする。巴はなおも落ちようとしなかったが、再三言われたので「最後のいくさしてみせ奉らん(最後の奉公でございます)」と言い、大力と評判の敵将・御田(恩田)八郎師重が現れると、馬を押し並べて引き落とし、首を切った。

その後巴は鎧・甲を脱ぎ捨てて東国の方へ落ち延びた所で物語から姿を消す。

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